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認知症とうつ病 [仕事のこと]

区別難しいですね。
ご高齢の方では、特に区別が付きにくいです。
うつ病だと思っていたら、CT撮ってみたら、脳萎縮が強かったり。アルツハイマーだった、とか。
薬の選択が難しいです。
家族に説明するのも大変。
治療に反応しにくいのが、悲しいです。
うーん、困った…

いろんな人がいるもんだ [仕事のこと]

今日は、なんだかいろんな人がいた日でした。

外来では、昨日ほかの病院から退院してきた患者さんが、
何をしてほしくて来たのかわからない状態で受診して、
「不眠症の治療は、治療効果に個人差があるから、
薬が止められるかどうかとか、今はっきり申し上げられないんですよ」
と言ったら、怒られてしまいました。
「医者のくせに、なんてことを言うんだ!!!!!」
と、おしかりを受けたのですが…
気に障ってしまってごめんなさい。

病棟では、新しい入院患者さんが、
うつ病だろう、ということで老健施設から抗うつ薬を出されていましたが、
MRIを撮ったら、見事に認知症らしくて。
検査はしてみるものですね。
認知症に合併した、老人性うつ病の可能性もありますが、
いずれにしても、抗うつ薬は効果が出にくいです。
これから、どうするんでしょうか。

以前から入院していた患者さん(男性)は、
「ここの病院、女が強いんだもん!」

いや~、そりゃあ、処置するのに、あっち向いてもらったり、
こっち向いてもらったり、それが大変なんですもの。
でも、その患者さんは文句言いながらも、悪態つきながらも、
笑顔を見せてくれるので、大好きです。

世の中には、本当にいろんな人がいます。
でも、1人1人がみんな一生懸命生きているんです。
そんな一生懸命な人たちが、私は大好きです。

ターミナルケア [仕事のこと]

今の職場は、入院患者さんの殆どが高齢者なので、
色々な意味でのターミナルケアが必要です。
ターミナルケア、と言うと、末期がんの患者さんのケアのように思われがちですが、
それだけではなく、人生の終末期にある方々すべてに当てはまります。
人間の、素敵な人生の終わりを見届けるケアを、ターミナルケアと言うのだと思っています。

ターミナルケアの考え方は、人それぞれだと思います。
それこそ、若いがん患者さんのターミナルケアと、
超高齢者の、老衰といえる状態の方のターミナルケアでは、
全く考え方違っていると言ってもおかしくないでしょう。
ただ、共通していえることは、
「安心して人生を終えられるように」お手伝いをする、と言うことでしょうか。

勤務していて思うことは、本当に人によって考え方が違って、
家族によっても考え方が違う。
どんなことをしてでも、生きていてほしい、と願う家族もいれば、
もう十分生きてきたんだから、苦しみを長引かせたくない、
だから、最低限の医療で十分、と言う家族もいる。
何が正しくて、何が間違っているかなんて、
全くわからないことですが、
患者さん本人と、家族が納得ができる形で、最後が迎えられるのがいい。
そのように、お手伝いがしたい。
いつもそう思って仕事をしています。

人生の終わり、皆さんはどのように迎えたいと思いますか?
私は、できれば何もせず、痛みや苦しみだけを取り除いて、
あとは自然に最後を迎えたい。
そして、お墓なんていらないから、山の中に、森の中に散骨してほしい。

実行してくれないかなあ…

仕事の目的 [仕事のこと]

自分が仕事でめざすことは、患者さんや、患者さんのご家族の笑顔を見ること。
診療によって、笑顔になっていただけるのが、最大の目的。
当然、その中には病気が良くなる、と言う条件はありますが、
病気が良くなることで、患者さんの笑顔が見られるのが一番うれしい。
たとえ良くならなくても、苦痛を取り除いてあげられるように、
苦痛が取り除かれれば、多少の笑顔が戻ってくるかもしれないから。

そう思って、いつも仕事をしています。
入院患者さんも、最初は苦痛や緊張、何でこんなところにいるのかわからない、と言う不安や、
自由を奪われたと感じる束縛感などで、難しい顔をする方がいらっしゃいます。
そんな方々が、入院して病気が落ち着いてくると、
多くの場合、笑顔を見せるようになります。
ただし、一方でだんだん笑顔が少なくなることもあります。
病気の進行を止められず、苦痛が増してしまうこともあります。

高齢者の場合、苦痛を軽くすることが難しく、
苦痛を取り除くために入院したはずなのに、
結局は検査検査で身体がつらくなったり、
治らない、進行性の病気ならば、病気のためにつらくなることもあります。
そういうとき、私たちにできることは多くはありません。
せいぜい、苦痛を取り除く薬を積極的に使用すること。
そして、苦痛を長引かせないこと。
何よりも、私たちが無駄な苦痛を与えないこと。

ターミナルケアの考え方は人それぞれだと思います。
ただ、重要なのは患者さんを1人の人間と認識し、
人間の尊厳を最大限保って、最後を迎えていただくこと。
無理な延命、無理な検査をしないこと。
これが重要な事柄だと思うのです。

ある患者さんが、入院しています。
その患者さんは、90歳以上の超高齢な方で、
もう15年以上太ももに大きな傷があって、それが治らない。
最近は、片方が巨大潰瘍を形成し、痛みが半端ない。
入院したばかりの時、皮膚科の先生が、
皮膚がんかもしれない、と言っていたので、
メインの主治医の整形外科の先生が生検することをまず決定。
しかし、患者さんの奥さんが、
「診断ついたって、何もならないから」といわれ、止めたんです。
それを、院長が再び
「高カロリー輸液を行わないなら、生検ぐらいさせろ」
と言うことで説得。
結局は、生検自体が、大出血の可能性がある、と言うことで
危険を押してまで生検する価値はない、と言うことになり、中止。

奥様の望みは、もう、何もせずに、自然に、苦痛だけ取り除いてくれればいい、と言うこと。
それをずっと聞いているので、必要最低限の医療を行い、
それ以上のことは手を出さなかったこちらサイドだったのですが、
院長がそれをなぜか許してくれない。
ターミナルケアを許してくれない。
なんだか今日は、苦しくなってしまいました。

院長の気持ちもわからなくはないのですが、
でも、それで患者さんやご家族が笑顔になるのでしょうか。
つらい、痛いと言っているのを見ている家族の苦痛、
わかるのでしょうか。

ほんの少しでも、わかっているとうれしいですが。

素敵に生きて、素敵に死ぬ … 人間の尊厳とは [仕事のこと]

今、私の職場のクリニックに、100歳のおじいさんが
入院されています。
元気がなくて、ご飯が食べられなくなって、
入院しました。
過去に数回入院歴があるのですが、
いつも冗談を言ったり、(認知症はあっても)会話を楽しむことができました。
しかし、今回は全く話もせず、表情もうつろで、
前回までの入院とはまるで別人になってしまいました。

お嫁さんの言うことには、
「100歳の誕生日が来てから、急に元気がなくなったんです」
とのことでした。
100歳まで生きている、ということは本当にすごいことだと思うのですが、
やっぱり100歳、というとそれだけで元気がなくなってしまうのでしょうか。
なんだか残念な気がしました。

でも、逆に考えたら、
「100歳までがんばって生きて、お疲れ様でした。」
という思いにもなります。
数ヶ月前まで、元気にご家族と過ごせたこのおじいさんは、
とても幸せだと思います。
しかも、ご家族が、ある程度自宅療養できるレベルになれば
自宅で介護する、ということを積極的に希望されているので、
本当に幸せな方だと思います。

いま、このおじいさんの問題点は、
ものが食べられないこと。
元気がないこと。
嚥下機能がとても低下しており、
とてもじゃないけど経口摂取させられない。

さあ、どうする??

経口摂取できない、嚥下機能が悪いのは、
本人の気力が減少しているためでもあります。
気力がないから、目も開けなくなりました。
返事も、言葉が出なくなりました。
本人にしてみれば、今やっと生きているのではないかと思うのです。

結局は、入院中と言うこともあって、
入院中なら何もしないわけにはいかない、ということで、
鼠径部より中心静脈カテーテルを挿入。
高カロリーの点滴で栄養管理をはじめています。
とりあえずは、栄養投与ルートは確保されました。

それでいいんじゃない?って思うのは、ダメでしょうか。

うちの院長の頭の中では、この人は在宅や施設利用で
もう少しがんばってもらう、というプランができていたようで、
鼠径部からのカテーテル挿入では、施設利用が難しい、ということで、
胃瘻の造設を考えていたようです。

でも、もう100歳ですよ。
つらい思いをしてまで、生きていないといけないのでしょうか。
食べられなくなった、というのも、昔なら寿命。
今だからこそ、食べられないなら経管栄養、高カロリー輸液など、
どうにかする手段がありますが、
でも、人間、寿命があると思うのです。

人間の尊厳を保って生きていきたい。
そう思います。
だから、無理に寿命を引き延ばそうとするのはよろしくない。
これから先、体力が回復して、また楽しく残りの人生を歩んでいくことを
期待できるのであれば、手は尽くすべきだと思います。
しかし、確実に衰えていくのですから、身体がつらくなるようなことはしたくない。
むしろ、ご高齢の方であれば、
残りの人生を穏やかに過ごし、穏やかな終わりを迎えられれば、
それがその人の幸せのような気がしました。

その、100歳のおじいさんが今後どのような処置をされるのかはわかりませんが、
人間としての尊厳を大事に、ケアをしていきたい。
そうできる環境を整えたい、
そう、心から願っています。

人生の終点 [仕事のこと]

医師の仕事は、病気を治すこと、病気を防ぐこと。
そして、人生の終わりを見届けること。

ターミナルケアは、一般的には末期がん患者さんのケアのことを言いますね。
しかし、それだけではないと思います。
ターミナル、という意味は、終末。
つまり、ターミナルケアとは、終末医療と日本語では言います。

終末期、とは、どのような時期なのか、おわかりですよね。
つまり、人生の最後の時期、ということです。
がん患者さんのターミナルケアはもちろんのこと、
老人医療の終末期も、一種のターミナルケアなんです。

ターミナルケアで大切なことは、
QOL。
Quality of Life
生活の質。生命の質。
QOLを重んじることで、自ずと自分のとるべき立場が決まってきます。
よりよい人生の終末期を迎えていただくために、どのようなことができるのでしょうか。

がん患者さんのターミナルケアなら、
苦痛を取り除くこと。
痛みを取り除くこと。
心の平安が得られるように、働きかけること。
これらのことは、だいぶ医師にも家族にも浸透してきました。

それでは、老人医療の場では、どうでしょうか。
お年寄りのQOLを、家族も医療側も大事にしているでしょうか。
元気に年をとっていた方でも、ちょっとしたきっかけで寝たきりになります。
認知症になったり、脳梗塞などで麻痺が出たり、
色々なことが起こる可能性があります。
そのようなとき、患者さんがどのようにしてほしいのか、
意思確認が非常に難しいことがあります。
何を基準にして、治療を選択するべきなのでしょうか。

人間的活動の一つに、会話を楽しむ、ということがあります。
会話をすることで、その人の人となりを理解します。
会話ができないと、その人のことを把握できません。
だから、会話ができる、できないは、重要なポイントとなるでしょう。

そして、自分で自分のことがどれだけできるか。
また、食事が食べられるのかどうか。

脳梗塞後遺症や認知症の場合、
嚥下機能の低下が認められることがあります。
嚥下障害が強くなると、誤嚥―気管に唾液や食物残渣が流れ込むこと―
が起きてきます。
誤嚥がたびたび起きるようになると、
それが基で誤嚥性肺炎を起こすことがあるのです。
だいたいは誤嚥性肺炎が起こってはじめて、
「そういえば、むせていたかも…」ということに気づくのです。

誤嚥性肺炎が続けば、医療側としてはまた肺炎を起こすから、
経口的に食べさせることが怖くなる。
嚥下機能の評価をして、
果たして今後、食事を十分量経口摂取できるか判断する。
そして、経口摂取できない、と判断が下ったとき、
その後の人生の送り方の選択は、
多くの場合、家族にゆだねられます。

本人の意思がはっきりしていて、
遺言状を残していたり、家族にしっかりその意思が理解されていれば、
何の問題もなくその通りにするのですが、
そうでないケースの方が多いです。

家族は困りますよね。
いきなり、「この方はもう食べることができないので、今後のことを考えてください。」
なんていわれたら、驚いてしまいますね。
そして、十分な知識がないまま、医者の言いなりになる家族も多いのが事実です。

医師には、患者さんの人生の終わりを選択する権利があるんでしょうか。
人生の終わりを引き延ばしたり、
患者さんの意思に反した治療を施す権利があるんでしょうか。
確かに、意識がはっきりしない患者さんの意思確認なんてできませんが、
家族の意思を重視する必要があるのではないでしょうか。

その人の人生の終末期に、医師が土足で踏み込んで、
荒らしてしまうことだけは、避けたい、そう思います。

何でこんなことを思ったか、って?
それは、次回。

頼られる [仕事のこと]

私は、大して力があるわけでもないし、
すごい技術を持っているわけでもありません。
ただ、いつも誠実でありたい。
どんなときも、患者さんには誠実に向き合いたい、
そう思って仕事をしています。

常に、自分のペースではなく、
患者さんのペースで診察がしたい。
そう思ってしまうため、私の外来は遅々として進みません。
そのため、時々患者さんにおしかりを受けます。
「遅い!!どれだけ待たせるんだ!!」
もう、とにかく、お待たせしているのは重々承知しているので、
お名前を呼んで患者さんが診察室に入られると、
ひたすら謝ります。
それから、診察開始です。

私は、患者さんの方に身体ごと向けるようにしています。
真っ正面でお話を伺います。
患者さんによっては、患者さんの方が身体の向きを横向きにしてしまいますが、
多くの場合、向き合ってお話しして、診察します。

お話のきっかけは作りますが、
基本的にまず、患者さんのお話を伺います。
それから、必要な事柄をお伝えします。
アドバイスとか、私はこう思った、とか。
自分の経験を逆にお話しすることもあります。

お話を聞いている間は、カルテが書けないので、
診察が終わり、患者さんが診察室を出てから、
カルテを書いて、処方箋を発行します。

はじめの頃は、薬や治療方針の説明に、
また結構時間をかけます。

こんな診療の方法は、私の場合、
心療内科の患者さんに限らず、みんなに実行しています。
中には、患者さんの方が何も話すことがないために、
血圧を測ると、そそくさと出て行く患者さんもいらっしゃいます。
それはそれでいいと思っています。
それが、その患者さんのペースなのでしょうから、
別にかまいません。

中には、カルテがどんなに積まれていても、
自分の話が終わらない限り席を立たない方もいらっしゃいます。
そういうとき、実は自分の心の中では、焦りがあります。
それでも、よっぽどのことがない限り、急かしません。

だから、文句を言われるのでしょうね。
でも、私にとっては、1人1人が大事なので、
1人もおろそかにしたくないんです。

今日、自分の外来から、大学病院に紹介した
抗リン脂質抗体症候群の患者さんが、来院しました。
先日、急性腸炎で来院したのが、久しぶりの診察だったのですが、
(今は全面的に大学病院にお任せしていたので)
なんだか元気がないのが気になりました。

今日は、主たる症状は、両肩痛。
整形外科でMRIまでとってもらったそうですが、
「もう年だから、仕方がない」と言われて終わるそうです。
つらい、と訴えられておりました。
湿布を出されて、あとは様子を見て、ということでした。

とにかく、肩こりがひどい、
全身の筋肉が硬直している。
温めること、ストレッチをすること。
すごい運動はいらないけど、からだは動かさなきゃ。
そんな話をして、生活上のアドバイスをしました。

「どの先生も、みんな年だから仕方がない、っていうんです。
でも、痛いのに。はじめて、ちゃんと聞いてもらえました。
やっぱり、私には、先生じゃなきゃダメなんです。」

こんな風に言われて、本当にうれしかった。
これだけで、疲れも軽くなりました。

いつでも、頼られる医師でいられたら、
こんなに素敵なことはありません。
患者さんと遠い立場ではなく、近い立場に立って、
みんなの手助けをしていきたい。
そう、いつも思っています。

(だから、開業医には向かない、って、いつも言われます(^^; )

仕事の悩み [仕事のこと]

プライドっていうのがありますよね。
特に男の人は、仕事上のプライドって強いんじゃないかと思います。
プライドは、必要なものだと思いますが、
必要以上に強いと、周りとうまくいかなくなってしまうことになりかねません。
気をつけるべきことですよね。

今日は、久しぶりに一緒に仕事をした看護婦さんに、
「申し送りをしたことが、申し送られていない」ということで、
相談を受けました。
このことに関しては、結構以前から私も思っていて、
何回か看護師長にも相談していたんです。
結局、ある人を経由すると申し送りが消えてしまう。
また、ある人は、自分の思い込みで申し送りを聞くから、
自分の興味のあるところはしっかり聞いていても、
そうでないところは抜けてしまったり、
こちらが意図していたことではないことで、インプットされてしまう。
伝言ゲームをやっているみたいなところがあるので、
誰がわるい、というのも何となくわかるんですが。

今、一緒に仕事をしている看護婦さんの、半分はパートさんです。
パートとはいっても、殆ど常勤並みに仕事をしているし、
違いは、夜勤をしないことと、リーダーにならないこと。
私としても、何となく以前からいるパートさんに
ちょっと頼っているところもあって。
常勤の看護婦さんの中には、
苦手なところはできるだけ避けて通る人がいて、
それならパートさんの方が頼りになったりして。
そんな私もいけないんでしょうけど。

私は、立場が微妙なので、どうも口出ししにくいです。
病棟は殆ど診ているのは確かなのですが、
半日足りないがための非常勤。
そんな私が、どこまで口出ししていいのやら。
困ったものです。
でも、看護婦さんとしては、私が一番病棟にいるから、
相談したくなってしまうんでしょうし。

そんな立場の話はいいんですが、
仕事にプライドは邪魔です。
今更聞けない、というような事柄も、
今聞かないと一生聞けない、と思って
色々聞いてほしい。
それで、看護技術とか、医療的知識とかが増えたら、
その方がその人のためになると思います。
これは、私の職場に限らず、どこでもそうなのではないかと思います。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

本当に、そうだと思います。
自分のステップアップのためにも、
知識を増やしてほしい、と思います。

それと、伝言ゲームは、どんな場合も正確に…

医者の役目 [仕事のこと]

今日は、何もしない1日でした。
何もしない、と言っても、日常生活に必要な活動はしました。
ご飯の用意をしたり、家の片付けをしたり。
普通の主婦のような仕事。
こんな毎日が過ごせるといいのにな、なんて思ってしまいました。

そうは言っても、ご飯の後片付けは夫がしてくれて…
ありがとうm(_ _)m

そんな一日でしたが、
そんな中で考えていたのが、、
自分の存在は、患者さんにどのような影響をあたえているか、ということ。
心療内科としてかかっている患者さんの多くは、
自己の戒めの時に思い出す存在のようです。
それでいいと思いますが、少しは存在が役に立っているのかな、
などと考えています。

私は、基本内科医なので、
精神科医ほどいろんな事ができるわけではありません。
だから、初めての診察の時にかならず約束していただくことがありまあす。
1.絶対に自殺しようとしないで。
2.重症化して私の手に負えなくなった、と判断した場合、精神科の病院に紹介することがある。
3.規則正しい生活を送ること。
4.朝日を思い切りあびること。

1以外、なかなか守ってもらえませんが、
この約束を、少しでも頭の片隅において、
生活していただければ(特に3・4)、
病気が良くなるためのお手伝いができると思うのですが、
いかがでしょう?
簡単なようで、非常に難しい約束です。

医師としての幸せ [仕事のこと]

今日、午後に2人の患者さんの診察をしました。
一人は、日大の心療内科にかかっているけど、
寂しがりやさんで、あまり間を開けると引きこもりになってしまう方。
もう一人は、もう6年近いお付き合いの鬱の方。
ご両親の死をきっかけに鬱になって、それからずっと通っている人。

全く違うタイプの二人ですが、二人とも孤独ではなさそうで、
実はとっても孤独なんです。
二人とも、診察にきた時には暗い顔(´・_・`)をしていても、
帰る頃には元気になる。
でも、一人は帰る時にさみしい、と泣き、
一人は、スッキリした、とにこにこ。

二人とも、いつも「先生大好き!」と言ってくれます。
「先生がいてくれたから、頑張れる、元気になる。」
と、言ってくれます。
私は、彼女たちに特に何もしていません。
ただ、話を聞いているだけ。
それでも、「楽になった(⌒▽⌒)」と言ってくれます。

とにかく、仕事をしていて一番嬉しいのは、
「元気になった!」と言ってくれること。
幸せ感じます。
こんな時は、仕事をしていて良かった、と思います。

こんな人がいる限り、頑張ろう、と思いました。

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