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素敵に生きて、素敵に死ぬ … 人間の尊厳とは [仕事のこと]

今、私の職場のクリニックに、100歳のおじいさんが
入院されています。
元気がなくて、ご飯が食べられなくなって、
入院しました。
過去に数回入院歴があるのですが、
いつも冗談を言ったり、(認知症はあっても)会話を楽しむことができました。
しかし、今回は全く話もせず、表情もうつろで、
前回までの入院とはまるで別人になってしまいました。

お嫁さんの言うことには、
「100歳の誕生日が来てから、急に元気がなくなったんです」
とのことでした。
100歳まで生きている、ということは本当にすごいことだと思うのですが、
やっぱり100歳、というとそれだけで元気がなくなってしまうのでしょうか。
なんだか残念な気がしました。

でも、逆に考えたら、
「100歳までがんばって生きて、お疲れ様でした。」
という思いにもなります。
数ヶ月前まで、元気にご家族と過ごせたこのおじいさんは、
とても幸せだと思います。
しかも、ご家族が、ある程度自宅療養できるレベルになれば
自宅で介護する、ということを積極的に希望されているので、
本当に幸せな方だと思います。

いま、このおじいさんの問題点は、
ものが食べられないこと。
元気がないこと。
嚥下機能がとても低下しており、
とてもじゃないけど経口摂取させられない。

さあ、どうする??

経口摂取できない、嚥下機能が悪いのは、
本人の気力が減少しているためでもあります。
気力がないから、目も開けなくなりました。
返事も、言葉が出なくなりました。
本人にしてみれば、今やっと生きているのではないかと思うのです。

結局は、入院中と言うこともあって、
入院中なら何もしないわけにはいかない、ということで、
鼠径部より中心静脈カテーテルを挿入。
高カロリーの点滴で栄養管理をはじめています。
とりあえずは、栄養投与ルートは確保されました。

それでいいんじゃない?って思うのは、ダメでしょうか。

うちの院長の頭の中では、この人は在宅や施設利用で
もう少しがんばってもらう、というプランができていたようで、
鼠径部からのカテーテル挿入では、施設利用が難しい、ということで、
胃瘻の造設を考えていたようです。

でも、もう100歳ですよ。
つらい思いをしてまで、生きていないといけないのでしょうか。
食べられなくなった、というのも、昔なら寿命。
今だからこそ、食べられないなら経管栄養、高カロリー輸液など、
どうにかする手段がありますが、
でも、人間、寿命があると思うのです。

人間の尊厳を保って生きていきたい。
そう思います。
だから、無理に寿命を引き延ばそうとするのはよろしくない。
これから先、体力が回復して、また楽しく残りの人生を歩んでいくことを
期待できるのであれば、手は尽くすべきだと思います。
しかし、確実に衰えていくのですから、身体がつらくなるようなことはしたくない。
むしろ、ご高齢の方であれば、
残りの人生を穏やかに過ごし、穏やかな終わりを迎えられれば、
それがその人の幸せのような気がしました。

その、100歳のおじいさんが今後どのような処置をされるのかはわかりませんが、
人間としての尊厳を大事に、ケアをしていきたい。
そうできる環境を整えたい、
そう、心から願っています。

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